中日新聞 地域医療ソーシャルNEWS
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みんなで幸せに老いていくために、いま考えたい「看護」という課題。

2017年11月2日|1,097 VIEW
「天使とは、苦悩するモノのために闘う者である」この言葉に看護の原点を見つけた。
「自分の子どもを放っておいて何が小児救急だ」と思い悩むこともあった。
 日本で今、就職難で困っている人も、みんな看護師になればいいのに。
 病気にフォーカスするのではなく、病気を持って生きている人を看る。
 声にならない声をどう聞くのか。それが私たち看護師の神髄です。
 私の使命は、「家に帰りたい」という願いを叶えること。

 

2025年、団塊の世代が75歳となり、65歳以上の高齢者も全人口の30%を超えるといわれる。みんなで幸せに老いていくために、私たちが必要とする医療は、今のままで良いのだろうか。もしかすると、多くの人が老いとともに生きていく社会では、これまでとは違う医療を必要とするのではないだろうか。今回のLINKEDでは、私たちが経験したことのない高齢社会の医療を、「看護」という視点から考えてみたい。
看護行為の対象は、患者の疾患ではなく、症状やそれによってもたらされる生活の質である。看護行為のベースにエビデンス(科学的根拠)を持ち、観察し、評価し、実践を繰り返す。看護には中断や終了がなく、継続性を重視する。上記は、LINKED編集部が取材中に出会った多くの看護師たちから感じたものである。この問題意識から今回の編集制作は始まった。


私たちが抱いていた「看護」は本当に看護だったのか?

LINKED編集部は、これまで地域医療を見つめるなか、多くの看護師に取材し、その働く姿を『LINKED-Plusシアワセをつなぐ仕事』で紹介してきた(詳しくはWebマガジンを参照されたい)。それらの取材を通して、「認定看護師」という資格を持つ人たちとの出会いを持つ。認定看護師とは、専門分野における一定の実務経験を経て、その分野における専門性をより深く教育された看護師たちだ。彼女・彼たちには、看護についての考え方に一定の共通項がある。一つは、看護行為の対象が、患者の疾患ではなく、症状やそれによってもたらされる生活の質である点。二つには、看護行為のベースにエビデンス(科学的根拠)を持ち、患者の症状を観察し、評価し、適切な看護実践を繰り返す点。そして、三つには、看護には中断や終了がなく、継続性を重視するという点だ。こうした認定看護師たちに接したとき、私たちはこれまで抱いていた看護師像とは違うモノを強く感じた。ではその違うモノとは何か。これまでの医療にはなかった新たな動きとして、その違いを、しっかりと見つめる必要があるのではないか。今回のLINKEDは、そんな疑問からスタートしたい。全体のナビゲーター役は、愛知県看護協会の中井加代子会長にお願いした。

「認定看護師とは」認定看護師は、日本看護協会が運営する資格認定制度の資格の一つ。特定の看護分野(現在、21分野)において、熟練した看護技術と知識を用いて、専門性の高い看護実践のできる看護師を指す。
「中井加代子」という人医療機関・行政・養成学校での勤務を経て、現職。看護をさまざまな視点から見つめる一方、医師をはじめ他職種との対話に注力。物事を対立関係で捉えない柔軟なバランス感覚を持つ。聡明さに裏打ちされた親しみやすい穏やかな言葉のなかで、時折見せる頑固さは、看護にかける彼女の熱い思いといえよう。

そもそも「看護」とは何だろう?

では、原点に戻りたい。そもそも看護とは何だろう? 中井会長に話を聞いた。「看護とは何かというと、1860年、フローレンス・ナイチンゲールが著した『看護覚え書』にさかのぼります。このなかに、“看護とは患者の生命力の消耗を最小にするように、暖かさや清潔さ、適切な食事などのすべてを整えること”と書かれています。私はこの一言が核心を突いていると思います。疾患を診る医師に対し、看護師は症状を重視します。看護とは、いかに患者さんの生命力の消耗を抑え、安楽にいられるかを考え、援助することではないでしょうか」。 一方、看護師の職業を規定する法律である保健師助産師看護師法(以下、保助看法)によると、看護師は「傷病者もしくは出産後の女性に対する療養上の世話、または診療の補助を行う者」と定められている。この言葉だけを読むと、看護師は入院患者のお世話をして、医師を補助するアシスタントのように解釈できる。患者の生命力の消耗を最小にするという看護の原点に立てば、「保助看法の言葉は少し違和感がある」と中井会長は言う。「療養上の世話と言っても、単なるお世話ではありません。患者さんを観察し、根拠に基づいた技術を使うことで、患者さんそれぞれに応じた援助を行っていきます。どの看護技術にも、なぜそのように行うのか?といった、エビデンスがあります。たとえば胃がムカムカしている患者さんを安楽に導くには、どういう体位でどのような援助をすれば良いか、ということが看護学のなかで研究されているんですね。食事の介助方法などについても同様です。そういう知識を持って援助を実践できるのが看護師です」。中井会長はさらにこう続ける。「診療の補助という面では、看護師は医師の指示によって、患者さんに一部の医行為を実施します。でもそれは、医師と同じ側に立って行うのではありません。診療の場面で、医師と看護師と患者さんがいるとすれば、看護師は患者さんのそばにいて医師と相対しているイメージです。その上で、医師の指示に従い、患者さんの個別性を意識しながら、治療によって起こる身体反応への支援やリスク管理も含め、診療を受ける患者さんを援助していくわけですね。つまり、医行為の一部は担いますが、それは医師の補助ではなく、看護なんです」。保助看法では、あたかも二つの違う行為のように表現されている「療養上の世話」と「診療の補助」。なかでも「診療の補助」は、これまで一般的に「診療を行う医師の補助」と解釈されている。だが、診療の補助における「補助」の対象を、医師ではなく患者であるという見方に立つならば、ナイチンゲールが記した看護の本質とまさに合致する。すなわち、看護とは、医師の行う医行為とは別のアプローチである。ここまで考えてみると、前述の「認定看護師たちから感じた、これまでにはなかった新しい動き」という言葉を訂正したい。決して新しい動きではなく、まさに、認定看護師たちが示しているモノこそが、本来の看護だと。


育てる環境は、整っているのか。

では、そうした「看護」は、認定看護師だから持っているものなのか? 「それは違います」と中井会長は言う。「認定看護師は、看護師の継続教育の一つのカタチであり、看護を領域ごとに専門性を追求したものです。その教育課程で、改めて看護師の役割を明確にして再教育を受けたものが、認定看護師だと思います。いわば看護師のキャリア形成の一環なのです。認定看護師のあり方が“新しい動き”と感じられるとしたら、それは看護師自身の問題かもしれません。また、看護師を取り巻くさまざまな問題、具体的に言うと、看護教育や働く環境が影響を与えているのではないでしょうか」。ではその問題とはなんだろうか。まずは、看護師の教育という観点から整理したい。看護教育は、養成学校や大学で学ぶ「基礎教育」と、実際に医療を提供する場である臨床での「継続教育」がある。この教育について、中井会長は「基礎教育と初期の継続教育では、急性期をしっかり意識すべき」という意見を持つ。「学校で看護のすべてを教えることはできません。だとすれば、技術の部分は、私はまず急性期からだと思うんです。学校で急性期の看護をきちんと学び、就職してからも最初のうちは急性期を経験し、理解する。そうすれば、そこから看護師たちのキャリアステージが枝分かれしていき、将来、回復期や療養期、在宅など、どんなステージへ行っても応用できるようになります」。こういった目線から、「基礎教育」を見てみよう。看護師の基礎教育は3年制の専門学校から4年制の大学へと移行しつつある。だが、教育期間が1年間増えても理論学習にその多くが取られ、技術トレーニングはあくまでも基本に留まる。輝かしい夢と可能性を抱いて、新人看護師たちは医療機関へ就職する。しかし、ひとたび臨床に出ると、学校で学んだ理論・基本技術と、臨床で要求されるモノとを結びつけることの苦しみを味わうことになる。もちろんほとんどの看護師は、それを乗り越え進んでいくが、一部には挫折してしまう新人もいる。そういった人材を救う方法はないのだろうか。名古屋第一赤十字病院の坂之上ひとみ副院長(看護部長兼務)は語る。「わかりやすい例で言うと、新人看護師は実際の患者さんに注射をした経験は少ないです。そのため患者さんを対象とした場合の対応や実践方法を、改めて教え直すことになります。本来、臨床は患者さんと家族に看護を提供する場。そのために用意されたマンパワーで、教育を担っている。そこに今の看護教育の歪みを感じます。臨床では教育に多くの時間を割いています。一方で新人の側から見ると、一生懸命やろうとしても、要求されることと、現実に自分ができることのギャップが大きく、メンタル面でダメージを受けてしまうこともあります。新人にとっても、教える側にとっても、最初の数年をいかに乗り越えるかが、大きな勝負どころとなります」。
こうした看護教育での問題点は、「学校はあくまでも基本技術を教えるところです。でも、臨床に出ると、患者さんの状態は一人ひとり異なります。その個別性に対応するには、基本を応用することが必要ですが、それは直ぐにはできません。どちらも限られた時間のなかで一生懸命なのですが、それぞれの教育をリンクさせる時間的余裕も、マンパワーも、枠組みもない。それが大きな原因かと思います」と中井会長は語る。看護師の基礎教育と継続教育の隙間を、少しでも改善しようとする動きがないわけではない。まずは、「学校教育と臨床の乖離を埋めるための具体的な方策が必要」だと語るのは、名古屋大学医学部附属病院の三浦昌子副病院長(看護部長兼務)である。「臨床に出る前のシミュレーション教育を充実させれば、新人は少し自信を持って看護師としての第一歩が踏み出せます。そのために私たちは今、名古屋大学・保健学科と協同でクリティカル(重大な、危機的な)場面において、卒前と卒後を繋ぐ教育プログラムの開発に取り組んでいます。この教育プログラムは、シミュレーショントレーニングで、フィジカルアセスメント(実際に患者の体に触れ、患者の症状を分析すること)能力と確実な技術の修得に力点を置き、日々の臨床で遭遇する急変場面で、患者さんの命を救える看護師の育成をめざしています」。こうした取り組みは大きな意味をもつ。今後、クリティカルな場面だけではなく、他の状況に応じても、また、地域医療全体へと利用が拡大することを期待する。


取り巻く環境は、充分といえるのか。

新人看護師が一人前になるには、仕事をしながら学んでいかねばならない。そこで重要になるのが、その環境が整っているかどうかという問題である。看護師の職場は実に多忙である。たとえば、重症患者が入院する急性期病棟では、看護師はほぼ一日中、走り回るようにして入院患者の看護に追われる。体温や血圧などのチェック、薬の準備や点滴、検査室・手術室への移動の手配、食事の介助など、看護師に課せられる業務は非常に多い。また、24時間患者を看ることから、二交代、三交代といった勤務形態が採られており、夜勤回数が月に8~10回というケースも多々ある。加えて、女性看護師の場合は、結婚・出産・育児という時期をどう乗り越えるかにも課題がある。豊橋市民病院の菱田由紀子看護局長は語る。「近年は看護師の育児休暇、子育て期間中の短時間勤務、夜勤免除などの制度も整ってきました。でも、臨床の看護師の人数に限りのあるなか、そういった福利厚生制度の完全導入に踏み切れない病院もあります。夜勤なしの短時間勤務という看護師が増えると、それ以外の看護師に負担がかかってしまう。その兼ね合いで悩む病院が多いのではないでしょうか」。 9時-5時の勤務で働き、休日には家族と趣味を楽しんだり、団欒する。また、育児や子育て期間は仕事を休む。そうした一般的には認められている私たちのライフスタイルに比べ、看護という仕事は過酷といわざるを得ない。改善の兆しは、出てきた。医療機関において、看護師の多忙な職場環境、業務負担を少しでも軽減し、医療機関の教育担当者にも新人看護師にも余裕を持たせようとする試みだ。名古屋第二赤十字病院の片岡笑美子副院長(看護部長兼務)はこう話す。「患者さんの一番身近にいる看護師が薬の管理や服用、食事に関すること、保清に関すること、検査やリハビリテーション室への患者さんの移動など、あらゆることを行ってきたんですね。でも、チーム医療が進むなかで臨床薬剤師の病棟配置が始まり、リハビリテーションスタッフも積極的に病棟業務に関わるようになってきました。今後も患者さんが安心して医療が受けられるように、他職種との連携を一層深め、役割分担を進めていきたいと考えています。また、看護助手の教育にも力を入れ、患者さんの療養上のお世話ができるようにしていきたいと考えています」。教育、環境。そこに横たわるさまざまな問題を解決しつつ、新人看護師がストレスなく臨床に順応できる教育プログラムや、看護師がキャリアを高めながら長く働ける体制が整えば、物事は解決の方向に向かう。だが、そうした体制はまだ整っていない。看護師の継続教育に対する公的なバックアップは少なく、個々の医療機関の自助努力(マンパワー・時間・コスト)によって支えられているのが現状だ。
こうした問題から生じる離職という現実が、看護師不足というカタチになって医療機関にのしかかる。その隙をついて、営利を目的とした人材紹介ビジネスも介在する。もちろん、真摯に転職希望者をサポートする優良な会社も少なくないが、なかには待遇面だけを強調し、安易な転職を促す会社もある。各都道府県には看護協会が知事の指定を受けて運営するナースセンターがあり、無料で看護師の職業紹介をしているが、人材紹介会社の場合、医療機関は当然有料となる。手数料は年収の20%程度が相場で、たとえば、年収400万円の看護師を紹介され採用した医療機関は、約80万円を紹介会社に支払う仕組みになっている。その費用は、ただでさえ厳しい医療機関の経営を圧迫する。こうした実態を、人材紹介会社を利用する看護師自身もよくわかっていないのが実情だ。看護教育の重要性への理解と認識が低い人材紹介会社が、給与面や福利厚生面をことさら強調して看護師たちに誘導をかけた結果、安易な転職を選び、それが原因で自らのキャリア形成を歪めてしまうような事態が散見される。看護師としてのスタート地点、そして、働き始めてから。さらに、認定看護をはじめとした専門性を磨く時期。そのいずれもが、看護師にとって充分な環境とは言い難い。


幸せに老いていくために、私たちは何を望むのか。

高齢社会において、医療は今のままで良いのか、看護を通して考える。これが今回のテーマであった。結論を出す前に、もう一度、中井会長に登場していただこう。
「病気になったら誰でも最高の医療を受けたいと思いますよね。でも、地域によって医療格差もあり、みんなが理想の医療を享受できるわけではありません。だから、すべての人がある一定レベルの水準といいますか、最低保障レベルの医療・看護を、継続的に受け続けられること、そして、それにみんなが満足できることが大切だと思います」。若い世代が多くを占める社会では、病気やケガをしても短期間で治療を終え、早期に社会復帰する人が多かった。そこでは先進医療や高度医療を追求すれば良かった。しかし、今後もそのままで良いのだろうか。常に何かしらの病気を抱えた高齢者が大勢いるこれからの社会では、スポット的な医行為だけでなく、長い時間軸で患者を支えることが必要となる。そのとき、看護師こそ大きな役割を担っていくのではないだろうか。「病気とともに生きていく高齢者がたくさんいる社会で求められるのは、おそらく“治す医療”だけではないでしょう。もちろん、適切な医行為を受けることができる環境を整備することは重要です。でも、その一方で、より日常的に必要とされるものは、患者さんのQOL(生活の質)を高めるために何ができるかを考えた、“支える医療”ではないでしょうか。私たち看護師はその意味を深く考え、一人ひとりが本来の看護を実践する、また、自らの看護の質を高めていく自己研鑽の姿勢が求められます」と中井会長は語る。高齢期を迎えたとき、私たちを支えてくれる人、その人を作り出し支援するシステムに対して、私たち自身がどこまで当事者意識を持って考えているだろうか。今、問われているのは、私たち自身の覚悟である。それは、高齢社会での私たちの幸せを、私たち自身が考え、決めることに他ならない。最後に、読者に尋ねよう。高齢社会でのあなたの幸せとは何ですか?

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