心を生きのびよう⑩ーある臨床心理士のつぶやきー
第10回 思い出すことを邪魔するもの
期待はずれな・・・
だれもが明るい年明けを期待した2021年。
その期待を裏切って、都市では感染者が激増して、首都圏をはじめ感染拡大のみられる地域で緊急事態宣言となりました。
おそらく、いや、今思えばですが、期待をする気持ちが、いつの間にか少しの気のゆるみと行動の広がりを生み、寒さも手伝って感染が広がったのかもしれません。
思い出したくないこと
思えば、昨年3月あたりから5月6月にかけて、私たちは言いようのない恐怖に包まれました。
このウイルスは、いったいどれくらい広がるんだろう?日本はどうなってしまうんだろう…。
もう少しで集団パニックにもなりかねないようなこの恐怖は、その当時とても客観的に把握できるようなものではありませんでした。
少なくとも私は。
なんとか防がなくては、という思いにしびれのような危機感を感じつつ行動する、そんな毎日だったように思います。
しまわれる邪魔者
もう過ぎたことを、今思い浮かべてどうするんだ、と感じられるかもしれませんが、しかし、あの恐怖感があったからこそ昨年、日本はパンデミックと表現されるまでにはいかなかったのではないでしょうか。
いままた、あの当時の行動を思い出してもいいのではないかな、と思うのです。
人は、あまりの恐怖に出会うと、記憶を自分から切り離すことがあります。
正確には、脳の奥底にしまい込むのですが、それを思い出さないようにして、意識領域を守るのです。
意識の領域は、常に毎日のことに対して現実的に対処しなければならないので、そんなに怖い記憶は、“邪魔”なのです。
願い
私たちは、昨年のあの規制が厳しかったころのことを思い出したくないのだといえるかもしれません。
“もうあんな苦しいことは思い出したくない”と。
エッセンシャルワーカーの方々、不運にも病魔に侵された方々ではない人々でも、戦時に近いストレスがかかっていたと考えられます。
また、規制が生活そのものを破壊することを意味する方々にとっては、危機はより切実であり、昨年と同じことを繰り返したくない思いには別の意味があるでしょう。
国には、ほんとうの救いの手を差し伸べてほしいと願います。
心のはけ口
以前に、心ははけ口を求めるもの、とここに書きました。
ストレスが、歪んだかたちで外に向かうと、差別のようにだれかを攻撃してしまうことも。
それが内に向かえば、うつ状態を引き起こしもします。
今年のお正月は、友人にも親戚にも会えませんでしたが、年賀状やSNSでは「早く話したいね」「早く会える日が来ますように」の言葉がたくさん飛び交い、みんな同じ思いなんだなあと思ったら、ほんの少しストレスが減る気がしました。
共感も、はけ口なんですね。
火花を持つ
出かけることも憚られる日々ですが、気晴らしに地元の神社の初えびすに行ってみました。
人出は少なく、掃き清められた境内の砂利が白くて、マスク越しにも空気がきれいに感じます。
庭火に暖められながらお札をいただくと、権禰宜さんが火打石を打ってくれました。
「家内安全!商売繁盛!コロナ退散!!」散った火花に、祈りとともにすっと晴れやかな気が入ってきました。
現状には気が滅入りますが、せめて心の中にあの火花を持ち続けたいと思うのです。
画像提供:PIXTA
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