心を生きのびよう⑦ーある臨床心理士のつぶやきー
第7回 危機と陰性感情と
話しかけてくれない…!
少し前に、喉の病気になり内科に行きました。
症状は、新型コロナウイルスとは全く違っていて、私はすっかり安心していたのですが、そう単純ではありませんでした。
そのことを知った周りの人たちが、急に、今までよりしっかりしたマスクをつけはじめ、心なしか距離をとって、私にあまり話しかけないようになったのです。
お互いの確認
その後、なんとなくもとに戻った雰囲気を感じながら、私が感じた「疎外感」とでもいうべき感じが本当だったのかどうか、分からなくなってしまいました。
周りの人たちの反応が敏感すぎるのか?それとも、私の、“疑われているかも”という疑心暗鬼のせいの考えすぎなのか…?
いまは、まるで、体内の抗体がアレルゲンを見つけ出すかのように、皆が、相手が異物かどうかお互いに確認しあっているような状況、にも例えられるように思います。
と同時に、自分がどう見られているかにも非常に敏感になっているのでしょう。
…はからずも感染してしまった方の世界が、豹変してしまうだろうということを感じさせられました。
最大の危機には
はるか昔から,人はいろいろな方法で、体と心を守ってきました。
危険から遠ざかり、大勢につくことで自分の身の安全を確保するという、寄らば大樹の陰、的な方法は、基本的に重要な安全確保の方策ですね。子どもが、怖い時に親にしがみついて、怖いものから目を背けることと同じでしょう。
このコロナ禍において、それと同じようなことが起きていることを見ても、私たちがいかに大きな脅威にさらされているかを示しているといえます。
妬みについて
そのようなときにはまた、様々な陰性の感情も入り込みやすくなるものです。
この夏に、他府県に旅行した知人がいました。旅行業の方の苦悩はいかばかりかと思いながらも、「大丈夫?!」と感じたものです。
その一方で、送られてくる広々とした景色、美味しそうな地の肴の報告に、私は羨ましさも感じていました。
そしてなんと、その羨ましさによって、その知人を警戒する気持ちが強くなったのです!
認めたくはありませんでしたが、警戒感を強めた理由のなかに、このようなとき時に自由を満喫している(ように見える)知人への、妬み嫉みといった感情がありました。
ありきたりでも、大切なこと
いまは、「コロナ禍」という表現が当たり前になり、終息の見通しも立ちません。
このような、脅威が私たちの日常にひたひたと近づき、お互いの心が弱くなり、ネガティブな感情に揺さぶられるとき、いったいどうしたらいいのでしょうか。
一つの選択肢は、「希望を持つこと」です。ありきたりでしょうか?しかし、希望の逆である絶望は、何ももたらしません。だとしたら、せめて希望を持つことは、命あるもののできることとして、ひとつの有望な方法ではないでしょうか。
知らず知らずのうちに、陰性の感情に囲まれて、思考が、判断が狭められているときには、誰もいないところで深呼吸をして、上を見上げて希望について考えてみる。それには試す価値があると思うのです。
画像提供:PIXTA
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